向上心のないものは本当に馬鹿か
今週のお題「大人になったなと感じるとき」
ご無沙汰しております。
あれから長男もすくすく成長し、次男も生まれ、夫とも昔ほど仲良くはないにせよそれなりにやっていっています。
育児と育児
前回ブログを書いたのが3年前。
本当にいろいろなことがありました。
2人の子どもの出産を経て、身体の衰えがひどいです。
いつでもどこかが痛い。調子が悪い。
がんばって子どもを産んだのに、この世には神も仏もいないのでしょうか。
ただ、子育てを通して私自身も育てられていると思います。
自分を自分自身で育て直しているような感覚で、
そこには自分自身の育ちが原因でうまく大人になれなかった部分を直視しなければならない辛さもあります。
同時に何かのきっかけで自分の歪みが少しほぐれたときには、心が軽く穏やかになるのを感じます。
こうやって自分自身を見つめられるようになるにつれ、
物理的な体力が自分の心と対話する内面的な体力へと変化してきたのかなとも思います。
外へと向かう若く活発なエネルギーの代わりに、自分の内面へと向かう大人のエネルギーを手に入れたのでしょう。
とはいえ、今後もこのスピードで体が衰えるとあまりにもしんどいですが…!
だらけるにも向上心がいる
高校生の頃、私はどちらかといえば怠惰なタイプでした。
周りに真面目な頑張り屋さんが多かったというのもあるかも知れませんが、とにかく私はできればずっとグウタラしていたいと思っていました。
そんな私が反発心を抱いたのが
「向上心のないものは馬鹿だ」
という夏目漱石の『こころ』なかの言葉です。
高校の授業で習い、小説の内容はすっかり忘れましたが、この言葉だけは心に強く残っているのです。
ぼんやり生きることの何が悪いのだろうか、私はできるだけソファでごろごろして今後も過ごしていくぞ!と当時の私は思っていましたが、
高校生の頃よりいくぶん大人になった今思うのは、一生ソファでだらけ続けるにもきっと向上心がいるのだということです。
それなりにいい大人になった今でも、隙を見つけてはソファでごろごろする生活を送っていますが、最近どうも高校生の頃とは違う感じがするのです。
あの頃はだらけるぞ!と思えば時間の許す限りどれだけでもごろごろしていられました。
ところがこのところ、ごろごろしていると体のコリが気になるようになってきました。
横になってテレビを見るにもある程度時間が経過すると体が疲れてきて反対側を向きたくなります。
体が年をとってきたということだと思うのですが、
ただグウタラ過ごすために体のケアを行う必要があるという不思議な事態が起こっているのです。
現状維持はゆるやかな変化
生きている限り変わらないことはたぶん何もないのです。
心ではいつまでもグウタラしたいと思っていても、体は少しずつ年をとっていきます。
ただダラダラと過ごすにも体の状態を見つつ最適なだらけ方を探っていく必要があるのです。
この心と体のギャップを埋め、自分のありたい姿を目標に取り組み方を変化させていく、
これが向上心でなくて何であろうか!
そんなわけで高校時代より少しだけ大人になり、斜め上の向上心を身につけた私は
YouTube見てストレッチをしながら日々できるだけ怠惰に過ごすのでした。
いつかちゃんと読みたい。